さんパパのプロフィール

さんパパのプロフィール

はじめまして、さんパパです!


大学1年の時に『パチンコ&パチスロは勝てる!』といったことに気が付き、20代の頃にパチンコとパチスロ合わせて2000万円以上を勝ってきました。


2015年にパチンコやパチスロで稼ぐことを引退し、次のステージであるインターネットビジネスに力を注ぎ、パソコン1台で日給30万を稼ぐ力を身に付け、脱サラ・在宅起業を達成した3人の子供を持つパパです。


といった感じでこれまでの経歴をサラッと表現するとなんだかすごい人に思えてしまうかもですが、まったくもってそんなことはありません(^^;


育った環境は決して裕福ではなく、小学生なのにランドセルを背負ってパチンコ屋に帰宅し、ばあちゃんの横で羽根モノを打ってスーパーファミコンのカセットを取ることが楽しみという意味不明な幼少期を過ごしていました。


中学、高校も超無名の学校に通い日々、友人とともに部活に汗を流す何の変哲もない人生を送っていました。


ただ、唯一、他の人と違ったのは少年時代の大半をパチンコ屋で過ごしたということ。





そして高校生になる頃にはパチンコやスロットを打ちたくて仕方がないパチンコ依存症に感染していたということです。


迎えた高校3年の夏休み。


部活を引退し、学校が休みに入ると同時に僕は連日、開店からパチンコ屋に通いました。


軍資金は18年間、コツコツと貯めに貯めた100万円以上の貯金があり、僕はそれを200万円、300万円に出来るともの凄い期待をしていました。


が・・・


気が付くとたった2ヶ月月余りですべての貯金が底をつき、僕の人生は一変してしまうのでした・・・

これまでの歩んできた道のりと実績

僕がこれまでに歩んできた人生を時系列として書いてみたいと思います。


かなり古い記憶のものも多いですが、覚えている限りのことをリアルに綴っていきます^^

幼稚園の頃から祖母とパチンコ屋に通う。一番古い記憶は幼稚園からタクシーでばあちゃんとパチンコ屋に向かった時の光景。小学生時代はランドセルを背負ってパチンコ屋に帰宅していたが、友人にバレるのが恥ずかしく途中までは一緒に帰宅し、誰もいなくなってから来た道を戻って向かっていた。到着後はホールの横にあったゲーセンにカバンを預け両親の仕事が終わるまでの時間を過ごす。ゲーセンに設置されていたパチスロ機(アニマル)を良く打ち、小3の頃には目押しがほぼ完ぺきにできた。
中学生になるとゲームセンターにあった競馬のメダルゲームにハマる。メダルを獲得するためにゲーセン内に設置されていた『初代大工の源さん』や『モンスターハウス』といったパチンコ、『クランキーコンドル』や『タコスロ』や『アステカ』などのパチスロを打つようになる。

ある日、ゲーセンでクランキーコンドルを打っていた際『自称スロプロ』という高校生に絡まれ持っていたメダルと台を取られる。泣きそうになりながら見ていると『入った』と言い出し次のゲームで7図柄が揃うことに衝撃を受ける(この時は毎ゲームずっと7図柄を狙い続けるだけだった)。さらにボーナス終了後にメダルを払い出し、1枚入れたり2枚入れたりするうちに『設定1だな』と言って笑いながらメダルを返してくれた。
その後、彼も暇な時にゲーセンへと顔を出すようになり、メダルをあげる変わりにクランキーコンドルの打ち方を教えてもらい小役完全奪取打法、リプレイ外しを取得し、ゲーセンの貯メダルが5万枚を超える。さらに設定判別法も教えてもらい『お前、上達早すぎだわ。この台でそれだけメダル増やせるってことはホールに行ったら余裕で勝てるぜ』と言われホールでの稼働を試みる。が、小さいころから通っていて『店員全員顔見知り』だったこともありすぐさま怒られて退場させられる。結果としてクランキーコンドルで勝つことはできなかった。
それから数年の月日が流れ、高校3年の夏に部活を引退し、本格的に稼働を始めるようになる。既にクランキーコンドルはホールから姿を消し、知っている機種もほとんどなく、ゲーセン時代の勘を頼りに打ちまくるも全く勝つことができず、たった2ヶ月ほどで100万以上の手持ちを失う。この過程の中でパチンコ依存症となり、手持ちがなくなってからも家中の貯金箱をひっくり返してお札に変えたり、教科書代や定期代としてもらったお金もすべて使い込んでしまったため学校に通うこともできなくなり、朝、家を出てホール近くにある公園のベンチに座り、水を飲んで夕方までひたすらボケッとしながら過ごしていた。
この頃になると『スロパチで勝つことはできない』『勝てるのは一部の限られた人だけ』『自分にはその才能がない』といった気持が強くなり、頭の中では『稼働をやめた方がいい』ということを理解し、何度も『ホールへは行かない』と独り言のようにつぶやいたりしていた。しかし、母親からお小遣いや定期代、教科書代、自動車学校の教習代などをもらい財布の中身が入ると真っ先に思い浮かぶのは『定期は3000円だから7000円分は打てる』みたいな稼働最優先のことばかり。当然、定期を買って余ったお金を稼働資金に・・・なんてことができるはずもなく、もらったその日に全額負けて死にたくなるような後悔と涙を浮かべながら1時間かけて帰宅することもあった。
そんな日々が1年間ほど続けた結果、僕の周りから友だちがいなくなった。正確には『友だちと付き合う時間やお金があれば打ちに行きたい』という感情を優先したため自分で友だちを切ってしまっていた。幼少期からの影響でふと『スロパチでお金を増やしたい』と思って打ち始めただけなのに、後戻りできない状況へと完全に追い込まれ、お金・友人・青春・信頼・未来への希望が無くなり、人生にピリオドを打とうかと毎日悩み続けるようになる。
そんなある日、ついに僕の人生が大逆転する日がやってくる。母親に『自動車学校の試験に落ちたから』といって1万円をもらいホールへと向かう。狙い台などはなく適当に空いてる台に座ったところ1000円で大当たりを引き、いつもはすぐ終わってしまうはずの当たりが延々と続き、気が付けば15000枚以上の出玉を獲得したった1日で30万以上を資金を手に入れる。

※当時15000枚出した機種(ギンギン丸)

当時は最高でも3000枚くらいの出玉しか獲得したことがなかったので、交換した時は『誰かに襲われるんじゃないか』とビビって祖父に迎えをお願いする。その帰り道、打った台の詳細が知りたくなりコンビニで雑誌を買って帰宅。熟読しているとどうやらその日打った台は『設定6』だったらしく『パチスロは設定6を打てばたくさん勝てる』ということを初めて知ると同時に体験した(クランキーコンドルの設定判別はできたが常に設定1だったので設定を意識して打つという経験がなかった)。そして今振り返ってもこの日の出来事こそが僕が負けている状態から勝ち続ける状態に転身した瞬間であった。
この日の出来事をきっかけに『設定6探し』をするようになる。今まであまり気にしていなかったイベント(当時は毎日のようにイベントがあり設定公開されたりもしていた)に注目し、設定6の札が刺さる日をチェック。さらにどこに設定6が入りやすいのかを徹底的に調べ上げた。そして次の設定6が入るであろうイベント日に狙い台を決めて朝から並ぶという立ち回りを確立し、月単位で負けることがなくなる。気が付けば万枚を達成した日から1年も経たないうちに新車を購入し、大学へは車で通学できるようになっていた。
大学4年になり周囲が次々と就職先を決める中、ひたすらホールに通って初代北斗の設定狙いを続ける日々だったが、さすがに大学卒業してニートはまずいと思い就職活動を開始。しかし時すでに遅しでたいていの企業は採用が終わっており、どうしたものかと思っている中、某パチンコホールの会社説明会があり、話だけ聞きに行く中で担当者と仲良くなり、その勢いのまま新卒として入社する。同期の中でも業界知識や経験はずば抜けていたので先輩社員をごぼう抜きする勢いで周囲からの信頼を勝ち取る。だが専業が稼働している姿や設定6が空いているにも関わらず打つことのできないジレンマに耐え切れず1年経たずに退職。交際していた彼女を引き連れ専業の道へと進む。
彼女とは職場近くに同棲していたが居座る意味もなくなったので通っていた近くのアパートを借りようとしたが『無職の人は無理です』と言われフリーズする。しかし、実はまだ有休消化中で完全な無職にはなっていなかったためギリギリで引っ越しを行い専業者としての生活が始まる。当時はネットでデータが見られなかったので閉店間際にデータを確認し、狙い台がある日は翌日稼働、ない日はデート日と決めて自由な日々を半年ほど過ごす。同じ専業者とプチ軍団を形成し専業開始半年で500万以上を勝ち累計収支が2000万を超える。

※15年以上前の通帳残高

今振り返ってもこの時はお金も時間も若さもあって人生の中で一番楽しい時間だったと思うし、一生このままの生活を続けていたいと毎日のように考えていた。が、その一方で心の奥底には『将来の不安』が眠っていて、それが定期的に自分の頭の中を循環し、必死に忘れようと朝から晩まで稼働しまくるといったこともよくあった。そんな矢先、彼女から『いつまで毎日パチンコ屋に通う生活を続けるの?』といったことを言われる。頭では理解していてもいざそれを口に出されると自分の感情が追い付かず少しずつ喧嘩の頻度も増えていく。明らかに正当なことを言ってる彼女、頭では理解してるけどまだ現実世界に戻りたくない自分。いよいよ彼女を取るか、専業者の道を1人で歩んでいくか、後の人生を左右する究極の二択を迫られる。
数ヶ月間悩んだ末、彼女との未来、大学まで出してくれた親に申し訳ないという気持ち、周囲の友人と自分の比較、子供ができた時の自分の職業など、いろんなことを考え抜いた末、専業の道を諦め再就職することを決意。地元に戻り、ハローワークで見つけた小さな会社に就職。手取りは専業時代の1/5以下の16万ほどで社会人の厳しさを改めて知ると同時に将来に絶望する。

※当時の給料明細

その後、結婚して子供を授かり、世間でいう『安定した暮らしと家族を持つ幸せ』を手にする一方で大学から専業時代まで続いていた自由な時間を失い、精神的に追い込まれ始める。子供が産まれる前は兼業稼働で月10~20万ほど勝てていたが、子供が産まれると平日・休日問わず外出することができなくなり、スロパチの収入はほぼゼロになった。
会社の給料だけではどれだけ節約しても赤字になってしまうため、パチンコやパチスロに変わる収入源を作らなければと趣味でやっていた競馬を本格的に始める。が、素人が予想した馬券がそう簡単に的中することはなく、小さく当てて大きく負けることを繰り返し続けた結果、わずか2年で1000万以上を競馬で失い、それまで積み上げた貯金が底をつく。

※競馬で1000万負けて空になった通帳残高

仕方なく奥さんに内緒で生活費を使って競馬を続けるも勝つことができず、それがバレて大目玉を喰らう。この出来事をきっかけに競馬を引退し、事実上、人生で2回目の破産状態となる。給料は全額家計に取られ、自分が使えるお金はゼロ、養う子供は3人に増え、高校時代に破産した時よりも再起が難しい状況へと追い込まれる。当然、家族を残した状態で人生にピリオドを打つわけにもいかず『家族を養うために定年までこき使われて人生を終えるロボットなんだ』と自分に言い聞かせ、来る日も来る日も会社に行って帰って寝るだけの生活を続ける。

が、そんな静かな生活を受け入れられるなら18歳の時にスロパチから足を洗って学業に専念する人生を歩んでいたはずで、『この状況で人生逆転するには何をすればいいだろうか』とガラケーで副業についての検索を始める。その結果『ブログを使ったインターネットビジネスが儲かるらしい』という情報をキャッチする。さらに当時見ていたパチスロブログの管理人が『ブログを書くだけで毎月50万稼いでます! 会社に雇われることが無いので時間的自由があって毎日稼働できてめっちゃ楽しい!!』みたいなことを書いており、『自分もブログで月100万稼いで脱サラして遊んで暮らしたい』と思うようになる。
しかしながら当時の僕は20代をスロパチに捧げてきたこともあってパソコンを全く使ったことがなく、みんながスマホに切り替える中、最後までガラケーを使っていたくらい電子機器というものに拒否反応を持っていた。しかし、ここでブログを始めなければ定年まで会社と自宅の往復で終わる人生が確定するため『その人生を0.00001%でも変えるチャンスが目の前にあるならやるしかない』と決心し、奥さんに頭を下げ、お金をもらってパチンコ屋・・・ではなく家電量販店に向かい、8万円程のデスクトップパソコンを購入する。

※当時購入したデスクトップパソコン。
この1台で僕の人生が変わっていく

当時はパソコンを一切使えず、電源を入れることすら抵抗があるほどのパソコンアレルギー患者だったが、何とか頑張ってアメブロでブログを開設。ネットで検索をかけながら脱サラを目標にしたブログを立ち上げるも2週間で更新が面倒になり1円も稼げずに終了。パソコンはただのガラクタとなり、奥さんに『パソコンで何かするって言ってたけどどうしたの? 』と言われて何も言い返せなくなる。

※人生で初めて作った黒歴史ブログ。なぜかミツバチハッチ。笑

ブログを挫折後、職場と自宅の往復を続けながら刺激のない日々を送り、半年ほどの時間が過ぎる。ある時、社内で転勤のうわさが広がり、自分もその対象であることが判明。今のままだと海外や自宅から通えない場所に勤務させられる可能性が浮上し、家庭崩壊の危機すら起こり得ることを肌で感じる。『転職したところでサラリーマンを続けている限り結局は同じことの繰り返し、家族を守るのは自分しかいない』と半年間の休養を挟みFC2ブログを新規に開設。パチンコや競馬の予想情報を3ヶ月ほど執筆するも収益はゼロでまたもや挫折。
『どうやったらブログで稼げるんだろう』いろんなブログやサイトをチェックして試行錯誤を繰り返すもまったく意味が理解できず、稼ぐことに限界を感じていたところで『ブログを始めるきっかけとなった人が有料教材を発売する』といった情報をキャッチ。定価は3万円程で当時の僕からすれば決して安い金額ではなかったが、人生を変えるために必要な投資だと思い、奥さんに内緒で購入。
3度目の正直でWordpressブログを作成し開設2ヶ月後に初報酬111円が発生する。気が付けば最初のブログ開始から1年ほど経過していたが、自分にとっては金額うんぬんではなく、『自分が一番苦手とする分野でも真面目にやれば成果が出るんだ』という気持ちになれたことが一番の収穫であり、嬉しい出来事となった。そしてこの気持ちはスロパチで勝てなかった時に『設定6に座れば勝てるんだ』と思った時の感覚と似ており、直感的に諦めずにこの道を進んでいけば成功するだろうと思った。
初報酬から7ヶ月後には月収1万円を超え、ネットビジネスを進めていくことが日々の楽しみとなる。

※ブログの報酬推移

ブログを始めて2年ほど過ぎた頃、毎日記事を更新するのが日課となっていたが収益が2万円前後で頭打ちとなり伸び悩む。作業時間は1日1時間程しか取れないため新しいことに取り組むこともできず困っていたところに『メルマガを使った不労所得戦略』というものに出会い勉強を開始する。月2万の放棄するのは断腸の思いだったが先に進むには学ぶしかないと思い切ってブログの更新をやめる。途中『せどり』という転売ビジネスを始めるも作業時間の確保が取れず2ヶ月で挫折。勢いで応募した30万円のコンサルティングも無駄に終わり、諸経費含めて45万以上のお金と時間を失う。
再び情報発信の舞台に戻るもせどりへと浮気したことでやることを忘れ、あれこれと情報教材を10個以上買いあさりノウハウコレクターになる。せどりを含めたネットビジネスへの累計投資額は60万を超える。投資金は主にブログからの収入で賄っていたが足りない分は奥さんからお金をもらってコッソリ銀行に振り込んで補填することもあった。
同じ夢を持つ仲間を増やしたいという想いから『ブログコンサルタントになることを決意』する。当時のブログでコッソリ募集した結果、1人だけ興味を持ってメールをくれた人がいたのでブロガーとしてたいした実績もなく、講師の経験もゼロ状態から人にネットビジネスを教え始める。その結果、たった1年で月間48万PVという人気ブログを作ってもらうことに成功、月収8万まで到達させることができ、2人で喜びを分かち合うと同時に僕自身が1年経っても稼げなかったのはやり方が悪かったんだということを痛感する。

※コンサル生のブログアクセス(開始1年後)

その一方、僕は有料教材で学んだ不労所得の仕組みを作り込み、日給30万の報酬を発生させ、副業収入が会社の給料を超すという偉業を成し遂げる。『よし!このまま売り上げが伸びれば思ったより早く脱サラできるかも!』と浮かれるも現実はそう上手くいかず、翌月からは月数万円程度の報酬しか発生せずに伸び悩む。コンサル生よりも稼げないことに負い目を感じながら今後の方向性を考え続けていた時、不労所得戦略を教えてくれた方が起業スクールを開校するといった情報をキャッチ。すでに後には引けない状態だったので参加を前提に検討していたが、どうしても乗り越えなければならない壁があった。
その壁とは参加費用の捻出で価格は120万円だった。せどりの失敗も含め、既にネットビジネスに投資をした資金は100万円を超えており、毎月クレジットカードの分割返済をしていたので新たに支払額を増やすのは不可能だった。当然、奥さんに『120万の起業スクールに入りたい』なんて相談することもできず、朝も昼も夜もすべてが手につかないほど参加するかを悩む。
その結果、『ここで止まったら誰かの養分!』とは思わなかったが、『今更あとに引き返すわけにはいかないし、そもそも起業できれば120万くらいすぐ回収できる、というかそうじゃないと脱サラして遊んで暮らすとか無理』と自分を奮い立たせ参加を決心する。支払いは『支払い計画書』を提出すれば1年間の猶予が与えられたので1回20万ずつを6回に分け、さらにその20万をカード会社で36分割にすることで月の支払いを限界まで抑えた(代わりに支払額は利息が付くのでかなり増えた)

※当時作った支払い計画書

再度、大学に行ったつもりで最先端のビジネスモデル(経営学)を10ヵ月かけて学ぶ。勉強時間を捻出するため子供と一緒に21時には布団に入り、朝3時前に起きて4時間ほど勉強してから仕事に行っていた。さらに通勤時間、昼休み、お風呂の中、布団に入ってから寝付くまでなど四六時中耳にイヤホンを突っ込みとにかく勉強した。この頃はもうパチンコやパチスロをまったく打たなくなっており、興味すらなくなっていた。学んだ知識を取り入れた不労所得の仕組みを1から作り直し、いよいよ新しく作った仕組みが完成し、リリースした翌日にとんでもない大事件に襲われる。
なんと、ここにきてまさかの転勤一発告知。これは完全に予想外の展開でパチンコならケツ浮き状態確定。ネットからの収入は月1,2万程度しかなく、今仕事を辞めても家族を養うことができない。でも、ここで転勤先に行ったら仕事を辞めるチャンスを失う。『せめてあと1ヶ月遅ければ作った仕組みの結果が分かったのに何でこのタイミングなんだ』と思いつつ人生最大の選択を迫られる。

仕事をやめますか?それとも転勤先に行きますか?究極の二択を突き付けられた当時の僕はネットからのわずかな収入も講座の支払いですべて消えてしまい、会社を辞めれば生活ができない状況。ゆえに普通なら転勤先に行くといった選択一択だが、それができないのが僕の性格の厄介な所。転勤告知を受けた3日後仕事をやめますと部長に退職願を提出する。
もちろん奥さんとは何度も話し合いをしたが辞めることに対して反対はせず『家でパソコン頑張ってきたの知ってるし、自分の好きなようにやればいいんじゃない』と言ってくれた。『子供も大きくなってきたし、生活が厳しくなったら私も働くから』と。 その言葉にどれだけ救われたかは言われた僕にしか分からないと思う。自分が逆の立場だったら絶対にそんなことは言えなかったと彼女の懐の大きさに感謝。
その一方で周囲から批判はされまくりで『10年勤めてきた会社を辞めるなんてもったいない』『やめて何をするんだ』『3人の子供をどうやって養っていくつもりだ』みたいなことを何度も言われた。今だから暴露すると自分自身も『本当に仕事を辞めてしまって大丈夫なのだろうか?』という不安な気持ちが最後まで振り払えなかった。だから最悪、ネットビジネスが上手くいかなかったら生活費をパチンコとパチスロで稼ぐことも考えていた。

が、その心配をよそに学習を終えて作った不労所得の仕組みから初月に40万の売り上げが発生する。『偶然売れたんじゃないか?』という心配をよそに翌月からも安定して30万前後の売り上げが発生。サラリーマン時代の給料を超える報酬が安定して発生することに安堵する。そんな中、ブログのコンサルティングをしていた生徒さんが僕より先に脱サラを決める。毎日会社に行って仕事をするよりもネットビジネスをしていた方が100倍効率がいいとのこと。この時点で彼は成功(月収100万以上)するだろうという予感を僕は持っていた。
脱サラが決まり作業量を増やしたところたった1ヶ月で月収80万突破。コンサル生の月収も60万を突破し、お互いが会社に依存せず、自分の力だけで生きていけるようになる。

※コンサル生からもらった報告(2017年、2018年)



仕事が有給消化となり時間的ゆとりができたことで久々にパチスロ稼働してみたところ、10年のブランクがあっても普通に勝てることを実感する。

※10年ぶりにパチスロ稼働してみた結果

『ブログで月100万稼いで脱サラする!』と奥さんに宣言してから4年8ヶ月後、10年ぶりに無職の座につく。『もう二度と会社に行かなくていいんだ』という興奮にも似た喜びと湧き上がる開放感、そして家族を養わなければならないというプレッシャーの感情が入り混じる中、脱サラ後、初月の報酬が早々に200万を突破し、この先どんなことがあってもネットビジネスでご飯を食べていけると確信する。

※脱サラ初月の実績一部

僕が作り上げる仕組みは構築が完了すると作業をしなくても安定した収入が生まれるものなので一通りの構築が終わると暇になる。そのため少しずつ昼間の稼働もするようになり、良い台に巡り合えず、なかなか打てなかったパチンコでも結果を残し『パチンコ&パチスロ&ネットビジネスの三刀流スタイル』が完成する。

再び金銭的・時間的に不自由しない暮らしを手に入れ、しばし自由な日々を満喫するも、平日の日妻に遊べる友人が誰もいない(みんな結婚してまじめに仕事をしている)ことに気づき寂しさを感じる。そして専業時代のように『パチンコやスロットが好きな人と話をしたり、一緒に稼働してみたい』という想いが芽生え『パチンコとパチスロの二刀流で勝ち続けるためのコミュニティ』を開校。その結果、パチンコで20万円以上負けていた主婦の方が2ヶ月で10万発の貯玉をためたり、スロットを1度も打ったことのなかった初心者サラリーマンが+100万円を達成するなど、北は北海道、南は沖縄まで全国各地にスロパチ仲間が増える。
さらにうまく勝つことができない人に向けて現地コンサルティングを開催。僕の地元や都内で一緒に稼働しで専業レベルの立ち回りを直接指導し、飲み会を開催したりもした。

※現地コンサル当日のやりとり

2021年からは『さんパパのスロパチLINE』を開設し、まだパチンコやパチスロで勝つことのできない人へ向けた『スロパチ人生逆転の手引書三部作』を作成し無料でプレゼント。さらに多くのスロパチ好きの人と交流し、より楽しい人生の実現に向けて活動している。
またパチンコやパチスロの次の世界として『ネットビジネスで稼ぐためのブログ』も開設。パチンコ・パチスロ・ネットビジネスの三刀流でお金と時間を手に入れ、生涯、遊んで暮らしたいと思う人にその世界の実現方法も伝えている。

上記がこれまでに僕が歩んできた人生です。


パチンコ・パチスロ・ネットビジネスで収益を上げるスキルは今後も磨き続けていくので、同じような自由な暮らしを手に入れたい人はメッセージもらえると嬉しいです^^

このブログの目的とゴール、発信している理由

このブログの目的は読んでくれた読者さんが

  • パチンコ&スロットで勝ち続ける能力を身につける
  • 勝つ楽しさを満喫しながら、勝ったお金でその後の人生をより楽しく過ごす

という世界に辿り着くことを目指して更新しています。


この背景には僕がパチンコやスロットで負け続け、青春を失い、引きこもり、自暴自棄になったこという過去の体験がトラウマになってます。


正直、今でも当時のことを思い出すとしんどかったと思いますし、『よくあの状態で復活できたな』と自分のことながら驚きを隠せません。


そんな中、ブログやTwitterなどで情報を発信していると

  • パチンコが好きで、20年くらいやっているのですが、ここ数年、負け続けることが多くなり金銭面で苦しい思いをしています。
  • 本当にギャンブルを辞めなければ大切な家族も失ってしまう。もう人生終わった。とそう思っていました。
  • 在宅勤務が多くなったこともあり、就業中にパチンコ屋に行ってしまうことが増えてしまい、50万以上の負債を作ってしまいました。

といったメッセージをいくつもいただき、過去の自分と同じように苦しい思いをしている方がたくさんいるんだなと感じています。


そうした方に向けて僕が過去に経験してきた事を発信することで、何かしら人生が好転するきっかけになるのではないかなと思い、パチンコやスロットで勝つための情報を発信しています。

このブログをあなたが読むメリット


パチンコやスロットで負けているあなたがこのブログを読むメリットは以下の通りです。

  • パチンコやスロットで負けなくなる
  • パチプロ・スロプロレベルの知識が手に入る
  • パチンコとスロットの二刀流で勝ち続けることができる
  • 隙間時間に稼働しながら安定した収入を得ることができる
  • パチンコやスロットで負けて悩み無駄な時間を過ごさなくなる
  • 会社の給料以外にも新しい収入源を持つことで人生が安定する


このブログで公開するお話しは僕が20年近く、パチンコやスロットの稼働を続けて学び、経験してきた事実に基づいて書いてあります。


そのため情報の信ぴょう性はもちろん、根拠のない事実や勝つことに関係のない話はかかれていないため、読めば読むほど現実的に収支を改善するヒントを得ることができます。


そして最終的にパチンコやスロットで自由に勝ち続けることができるようになり、これまで負けて苦しんできた人生とは真逆の『お金のことを気にしなくて良い世界』が手に入ります。


もちろん読んだだけではそのような世界を手にすることはできませんが、あなた自身がきちんと僕の情報を受け取り、実践、改善、継続すれば上記のような世界を実現することは十分可能になるはずです。

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僕はこのブログにもたくさんの場所で情報を発信しています。


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文字で見るよりも話を聞いた方が分かりやすいという意見をたくさんいただいているのですが、なかなか作るのが大変なため更新頻度は少なめです(^^;

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